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2025年10月30日木曜日

現状に見る現実⁉

   宝飾業界の不振が語られ始めて久しく、業界の変化も著しいものがあります。地金の高騰もあり、多くのメーカーは商品を作ることには消極的であり、更に消費者への直接の販売を試みています。

 現在行われている名前ばかりの国際宝飾展でも多くのインフルエンサ―を抱えたメーカーやリサイクル業者が幅を利かし、本来の商社は影を潜め凋落の様相を呈していました。

 これは欧米諸国よりもさらにジュエリーを対する文化のない日本にとっては致命的な現象であることは火を見るより明らかともいえるのかもしれません。

 宝飾品は本来関わる者たちの付加価値の創造により価値のあるものです。しかし、それを落としめるような販売方法行ってきた業者が国際宝飾店や通信販売で幅を利かしていることも事実です。それはいかにも自らの首を絞めることになるのです。

 しかし、生き抜くための手段としてはやむを得ないだろうし、メーカーが消費者にダイレクトに販売を考えることも必然でもあるし、本来の欧米的な宝飾店は自らデザインをし、顧客に提案し、販売する方法が原点であるので、ある意味製作をしている会社が販売をすることに違和感はないのです。

 問題は小売業であったり、百貨店に入っているテナントである。彼らは過去長い間メーカーからの委託商品に頼り、展示会に出展された消費者が興味を持った商品を進めるといった方法で半ばリスクのない販売方法に依存をしてきました。

 前述をしたように地金の高騰と販売不振もあり、多くのメーカーが商品を製作しない時代になると小売店やテナントにとっては死活問題ですが、そこに気が付いている人々が多いことも現実です。小売店やテナントは自らのマーケティングを行い、プロモーションを充実させ、自らのリスクにより商品を準備しなければ今後の生存は難しくなってきています。

 そこにいち早く手を付けるか、退場をするか、という場面に直面していることも事実です。長年にわたり市場を破壊し、そのエネルギーで販売結果を出してきた業界ですが、そのエネルギーとなってきた付加価値はすでに存在をしません。

 つまり、自転車に乗れない人に自転車が売れないように、ジュエリーをする場所がない人にジュエリーを売ることは難しいのです。自転車を売ろうと思えば乗り方を教え、サイクリングの楽しさと行動範囲の広がりの楽しさを教えることが必要です。それはジュエリーにも言えることです。

 ジュエリーをつける場所の提供とその楽しみ方やその意義を学んでもらわなければ誰もジュエリーを買わないのです。過去売れたのは先人たちが作り上げた付加価値があればこそで、その貯金を崩しながら蓄えることなく着た結果が今日なのです。

 


2025年10月23日木曜日

リベラルとは何ぞや⁉

   高市政権が誕生をして保守右傾化を懸念する人々も多くいます。しかし、その反対側としてリベラルという理念も存在します。そして、多くのリベラルな考え方をしている人々は声を大にして反高市を謳い上げています。

 リベラルとは何ぞやというと個人の自由や意見を尊重し、多様な価値観を強要し相互を尊重しようという概念ですが、勘違いをしている人々も多くいるように思います。

 高市氏や小野田外国人対策大臣を極右のように言っている人々もいます。私自身も最初はそのような取り方をしていましたが、ルールを守らない外国人という大前提があり彼らは提唱をしています。

 つまり、『郷に入らば郷に従え』という言葉がありますが、日本で生活をするのであればその中のルールや慣習を守ってほしいということです。

 本来のリベラルというものもルールを守り、それぞれの責任を尊重することにあります。何事も好き勝手にやってよいということではないはずです。何でもかんでも右左に分けることでもありません。

 そのリベラルというものを過信しすぎることにより社会の分断も起こりやすくなっているような気もします。

 例えば最近目立つ転職サイトですが、いとも簡単に自分探しと適職が見つかるような内容でCMを流し、転職を促す内容になっていますが、そんなに簡単なものではないし、ある意味での経験や履歴を積まなければ転職をしても意味がありません。入社して数か月で身につくものは知れています。(これは直接の例ではありませんが、身勝手を促している面はあるように思います)

 勿論、中には入ってみたら話が違ったということもあるでしょうが、それは入社前にリサーチをするためにアルバイトで体験入社をするとか、多くの会社はそれを受け入れているはずです。

 特に外国人には信教の自由もありますが、その国の慣習やルールを守ることが前提で宗教のためなら何をしてもよいということではありません。しかし、それらに声を上げると必ずと言ってよいほどリベラルを名乗る人々が反対を声を上げます。

 今回の高市政権は決して極右思想とは言えません。当たり前のことを掲げているだけだと思っています。むしろ、受け入れ側の習慣マナーを認め、自分勝手では共生できないことを理解し、相手側の存在や意見を尊重しなさいということだと思います。

 今後には懸念も残りますが・・・。


 


2025年10月21日火曜日

雇用なき経済成長⁉

 日米ともに株価が高騰し、優良株の所有者は寝ている間に資産が増えている状況にあります。

 勿論、金融が主導する経済成長には疑問があります。本来は実体経済に伴う経済成長が本来の形であるとは思うが、現実は狂ったように金融が膨らんでいます。

 物々交換の代替物としての貨幣を考えると、物に対してその価値が低下をしているということが想定できます。その典型が金の高騰だろうと思っています。

 日本のバブル期も同じような現象が起きており、1989年にはやはり3万9千円の株価を付け当時の為替は1ドル@130円前後だったと記憶しています。現在は為替@150円前後で45,000円を除く展開を考えると、率だけで言うと同じよな展開で、その後にバブルの崩壊が始まっています。

 しかし、このときは不動産をはじめあらゆる物の価格が高騰し、お金が経済を回している実感がありました。現在を考えると株価は高く、現物資産の金も高騰を続けていますが、実態は格差社会といわれるように一部の資産家の資産が増え、それを後追いしようかとする少額投資家がその後押しをしているように見えます。実際に利益を生むのは特別待遇を受けている富裕層だけですが。

 現在の金融市場はITを取り巻く半導体株やAI関連のDX株が高値を付けています。つまり、世間のAI化が進むことが現状の株価を押し上げ、さらなるAIの進化によりに人手不足が解消をされるという前提で進んでいますが、人手がいらないところまでの進化が進み始めている傾向がみられます。

 つまり、人は働くところが無くなり、結果的には市場にお金が回らなくなり、経済の血液といわれるお金が回らなくなるということを想像するのは私だけでしょうか?

 現物資産の金の高騰は需要に関係なく価格が上がっていきます。これは金融で余ったお金が避難所として金という居場所を求めているように見えます。結果的には現在の金融価値は現物に対してそこまでの価値はないということになります。

 結論を言うと膨らむ金融は数字ほどの価値はなく、その数字を膨らませた結果人々の働くところが奪われ、お金が市場に回らなくなり、実体経済に活力がなくなるのでしょう。また、資産が膨らんだ人々も実体経済で使える金額には限度がありますから、これによってもお金が市場には出回らなくなります。

 日本においてはアベノミクスなる富裕層優遇を進めたためにそれが顕著になっています。この政策を引き継ぐとして高市政権が誕生することは雇用促進とは逆方向に向かい、そこに助成金をまくという真逆な政策をとっているようにも見え、税金の無駄遣いとならないか懸念をしています。

 雇用なき経済成長は崩壊へ向かう序曲とならないか?

 必要のないAIの進化は本当に経済を回すのか?

 疑問だらけです。

2025年10月9日木曜日

金相場から連想すること‼

 金の高騰が止まらない。

 目先でみると低迷もしくは下落もあり得るが、長期的にはやはり価格が上り続けるだろうと考えるのが妥当かもしれない。米国の金利引き下げや有事の落ち着きが今後考えられることを前提にするといったん下がる気配が出るかもしれない。

 しかし、金融市場の異常さを考えると常に逃げどころとしての金市場はもはや仮想通貨状態になっています。総合的に考えると上昇気配を除くことはできないといえるのです。

 現物は金融市場にとって相対的なものではなくなってしまっていることが金の高騰の大きな要因ですが、現実には貨幣や金融の価値が現物に対して下がっているといえるのです。

 一人の人間の資産が数か月で数兆円も増えるという現象はその一番の証拠とも言えますが、そんなことに耳を貸す輩はいないとも言えます。

 日本政府自体が実体経済を動かすことより、金融経済を動かす方向に舵を切っているので国内の経済を親身に動かすつもりが無いようにも見えます。物価の上昇が賃金の上昇を上回っていることが何よりの証拠です。もし、分からずに行っているのだとしたら最悪ということです。

 アベノミクスはそれを前提に建付けを行われたわけで、阿部さんの言っていたトリクルダウンは18世紀の手法で、彼は現代のDXに進化について詳しくはなかったのでしょう。

 富める者が儲ければ必然的に下々の者にもおこぼれが来るという考え方は現金で世の中が回っていた時代の理屈です。彼は身近な近親者という富裕層を儲けさせれば民にも回るだろうということが実際には彼の周りを儲けさせただけになってしまったんです。

 それを継承しようとする高市早苗という人が、もし総理になったとしたら日本の経済は破綻するのだろうと考えます。

 そのことが有事となり、金の相場をさらに押し上げる要因とならないことを願ってやまない。

2025年9月3日水曜日

ダイアモンドの資産性指標⁉(2)

  前回に続いてですが、ファンシーカラーの資産性としてFCRF(ファンシー・~・リサーチ・ファンデーション)のリポートが資産性の指標になるという根拠は出現率や出現毎年数などを数値として示してくれるわけですが、条件としてGIAによるリポートがついていることが前提です。また、カラーだけのレポートの場合はレポートの発行はできません。

 大粒ダイアモンドに関しても現在はトレーサビリティ付きのレポートの発行が行われてきていますので、同じく産地を含めた希少性が明確になってくることを考えると価格の目安が今よりさらに鮮明になってくることになるのです。

 つまり、今までも資産としての存在はありましたが、実際には大粒の場合には基準とするものも少なく価格の幅も相場の持つ小粒よりはブレがありました。

 しかし、レポートの精度が上がってくることによりその価格の幅はより小さくなり、より資産性の指標になりやすくなってきていることも事実です。

 それは、換金性や価格変動幅の実利性をより明確にすることになり、資産としての取引により実効性を増すことになるのです。

 ただ、敢えて言えばダイアモンドという資産は別の意味あいも持っていますので、全てが透明化になることは本来の特殊な資産としての価値を持ち続けるのかどうかは疑問です。

 つまり、金のように証券化や登録制ではないのでガラス張りではないという特殊さもダイアモンドの特徴でもあります。

 現代のように全てがデジタルにより管理される時代は便利な一方、すべてが裸にされる可能性があり、もっと言えばプライバシーがなくなることさえ考えられるわけです。

 資産としての実効性が増すことはダイアモンドビジネスにとっては良い事ではありますが、人間社会は全てが白日にさらしてよいももばかりではありません。それ故の資産性であった事実も歴史上あります。

 しかし、今後AIを使ったグレーディングが進化し、すべてがブロックチェーンにより管理をされるようになるのかもしれません。

2025年9月2日火曜日

ダイアモンドの資産性指標⁉(1)

  ダイアモンドは以前から現物の資産として欧米諸国では当たり前のように流通をしてきましたが、現代では単純にダイアモンドということではなく、ある意味区分化が進み白系のダイアモンドであればとりあえず大きさ、更にクラリティをそれぞれ一つの区分にし、さらにGIA(米国宝石学会)などによる原産地を特定するトレーサビリティーなどといった、以前に比べより高度な区分仕分けが行われています。

 正直なところ原産地の18世紀には枯渇したといわれるインドのゴルコンダ鉱山であれば一つの希少性とも言えますが、その他の鉱山については閉鎖は日常茶飯事といってもよい状態ですからあまり意味もないのかも思います。特にグルコンダ産の殆どが今話題タイプⅡであることも付加価値の要因ともいわれ、あの有名なホープダイアモンドもゴルコンダ産です。

 更に、今後はFCRF(ファンシー・カラーリサーチファンデーション)がファンシーカラーダイアモンドのその整合性をチェックしたレポートを発行することによりその市場性がより担保される事になるはずです。FCRFは2014年に各界のエキスパートが集められ設立をされた財団ですが、サザビー・クリスティーなどのオークション会社なども歓迎をしており、ファンシーカラーダイアモンド区分化がより整合性を高めることになり価格の安定を図れるとコメントしています。

 ダイアモンドの資産性においては我が日本は販売の特殊性もあり、なかなか浸透をしてきませんでした。しかし、近来多くの場所でその動きが顕著化しています。業界としての知識不足もあり、動き自体は牛歩といえるかもしれませんが徐々に浸透をしています。

 以前はダイアモンド・ディーラーが主体であり、日本にはあまり存在そのものが知られることのないビジネスが殆どでした。金の高騰が例にあるように、現物資産の重要性は顕著ではありますが、ダイアモンドもイコールかというと、そこは少し事情が違います。

 金価格に関しては現物とはいえ証券、先物化した状況にあり市場としても大きいといえますが、ダイアモンドに関しては現物資産とはいえそのものの存在が少なく、市場性は一部の人のものといえるです。

 しかしながら、GIAやFCRFなどの存在は区分性を今後ますます顕著化し、現物資産としてのダイアモンドの存在を大きくするものだと考えられます。

 次回へ

2025年8月29日金曜日

ダイアモンドマーケットの混沌⁉

  今、インドのダイアモンドビジネスが危機に面しています。それは勿論トランプ関税の50%という高関税に起因しています。

 例年であればこの時期は米国のクリスマスセールに向けての準備のために大忙しなのですが現状のインド・スーラットの取引所は人の姿もまばらということです。

 勿論、世界での優秀な商人であるインド人は手を拱いているばかりではありません。第3国を経由し、関税の低い国からの輸出を試みたり、ターゲットを中東ドバイに向けたり、欧州に向けたりしています。

 ここで問題なのはアメリカはロシアとの貿易に積極的な国への高関税を示唆していますが、インドは歴史的にロシアとは近い関係にあります。現状モディ首相はトランプに対しても強い姿勢をとっていますので、なかなか解決の道はないということです。

 今後を考えるとダイアモンドビジネスに関してだけ述べるとしたら、イスラエルなりベルギーにチャンスが出てくるのではないかと考えています。なぜならEUやイスラエルからの関税は抑えられていて、更にダイアモンドに関しては基本原産地証明をつけることにはなっていますが、ダイアモンド取引所を経由した時点でそれぞれの輸出地がそれに準ずることになるからです。

 現状のダイアモンドビジネスはといえば、宝飾業を前提をすれば欧米、日本共に悪くはありません。しかし、中身を精査すると本来の宝飾業というより、ブランドであったり、ファッション業界に近い部分での売上が大きな部分を占めています。

 さらに、ダイアモンドビジネスにフォーカスするとオーバーサイズを除く、1ctサイズのものの動きもあまりよくなく、商品が少なめの米国市場であっても堅調とは言えません。しかし、米国内研磨のダイアモンドはまだインド産のものよりは15%前後高めでもありますが、米国の大手独立系小売店は堅調を続け、委託からの売上は順調に推移しています。

 しかし、全体的にはラパポートをはじめ、多くの基本となる相場よりは価格も高くなっており、ロシア産のダイアモンドのアメリカに制裁も引き続き行われる様相も呈しておりますから、しばらくは市場でのせめぎあいが続くと思われます。

 デ・ビアスなども小規模なロットは市場から拒否をされることも多く、大粒の原石を中心に供給を行っております。そのことからも大粒サイズのものがしばらくの間市場の話題を占めるとは思いますが、絶対的な量の問題がありますので価格の問題がクローズアップされるとも思われます。

 総括としてトランプ関税は今後もインドの研磨市場にダメージを与えるでしょうが、ダイアモンドという商品の性格上新たな動きを作り出すかもしれません。特に大粒サイズのものに関しては従来の取引方法に多くの業者は拘らなくなる可能性は出てくると考えられます。

2025年8月28日木曜日

宝石、宝飾品の持っている意味⁉

  ジュエリーの歩みを考えるときに、元々は宝石というものが存在し、実用品である道具に宝石を施すことにより、宝飾品としての体をなしてきました。それは指輪然り、ネックレス然り、ブローチ然りです。

 つまり、宝石というものの存在は実用品に宝石そのものを関することにより宝飾品に確固たる意味を存在させてきたわけです。

 ブローチなどは北方民族の毛皮の前を止めていた道具に長者が宝石を施したことにより始まったともいわれています。勿論、指輪にしてもネックレスにしてもそれが始まりといわれています。

 さて、その宝石ですが、宝石そのものも前回の話に重複しますが、自然が作り上げて出土したものに自然が起こす現象やその稀有さ、その美しさや希少性を物語にして時の権力者への献上品としてその価値を高めてきたものでもあります。

 結果としてその宝石を身に着ける方法として権力や宗教上の儀式における宝物や道具に施したわけです。それにより王室の王冠や笏などが権力の象徴として成立してきたわけです。

 その結果フォーマルな場所での着用品として宝飾品つまりジュエリーが成立をしてくるわけです。

 宝石やジュエリーに関してはその成り立ちから言っても付加価値のある創作物語が付与され始めてその価値が見いだされるわけです。

 昨今の販売方法としての文字や数字を前提とした価値やその場のセールストークのみで販売するには難しいものです。顧客が欲しがっている前提であればその内容でも成り立ちます。

 しかし、顧客が欲しがる前提というものは、美しさや好みもさることながら、それはその全体としての物語があることが必須なのです。つまり、物語のないところに本来のジュエリーの価値は感じてもらいにくいわけです。

 それはブランドイメージだったり、誰かが身に着けていたということも含め、ストーリーが必須なわけです。今の販売方法に一番欠けるところであり、現代の販売員の最も苦手とするところでもあります。

 今後の大きな課題でもあり、これがなければ日本の宝飾業はますます推移体をするのでしょう。我々は宝石のためにも物語、つまり付加価値を創造し続けなかればならないのです。

2025年8月25日月曜日

DX化の懸念⁉

  ダイアモンドと直接の関係はありませんが最近のDX化に幾ばくかの疑問や懸念を持っています。技術の効率化を行うIT化に関しては日本ではうまくいっていませんが(特に日本政府が)、アナログに関しての技術の効率化、アナログをいかに生かすかという意味でのIT化は長年イスラエルで見てきていますからある意味の安心感もあります。

水が少なければ灌漑事業のIT化、人が少なければ労働力のIT化といったようにイスラエルではその技術の先進技術を見事に生かしていますが、日本では省庁の省益が前提となっている手前なかなかIT化も進みません。

 しかし、民間を中心にしたDX化に関しては日本のみならず世界でも先へ先へと進んでいます。現代ではそこまでの機能も効率も必要がないだろうと思えるぐらいに進化をしています。AIを活用するようになるとさらにその進化は急進的なものになっています。

 過去何億年と続いた地球上での営みは身の丈以上の進化を続けるとその後の破滅を迎えることは珍しくはありません。自らの巨大さを持て余した恐竜然り、紀元前の人類の発展然り、いろいろな分野で進化しては滅亡しを繰り返しています。

 私の懸念は現代の進化は果たして身の丈に合っているのだろうかということです。必要のない進化を続けているのではないかということです。AIの進化の将来の懸念も持っています。本当に必要だったのだろうか?ということです。

 多くの現代人は進む過ぎる進化に何かを失っていると感じています。進化イコールある部分での退化であることも十分理解をしているつもりですが、それがある意味何かに比例をしているのならこのような懸念を持ちません。

 ダイアモンドのようなアナログな仕事をしていると、我々仕事もIT化は進められてきましたがある意味その価値を上げる手段であったり、その効率化を求めていたものでした。

 実際、現代のDXは新たな価値を組織なり、システムに生み出すということだと思いますが、現代のフィンテックを見ていても数字上の価値や仕組みを生み出していますが、人や物に対する価値を高めているようには見えません。

 むしろ、アナログの価値を軽んじて、その価値を損なわせているような気がします。

 つまり、いつの時代にも人や物がその価値に見合った進化を続けることが必要で、身の丈に合わない進化をその物を押しつぶし、結局、破滅の道を歩むのではないかとさえ感じるんです。

 単なる懸念であればと願うばかりです。


2025年8月19日火曜日

ダイアモンドの本当の価値⁉

  ダイアモンドの誕生に触れることは難しいと思っています。それは、ダイアモンドの誕生は現代人の誕生に比例するからと考えています。

 勿論、鉱物学的には後にダイアモンドと呼ばれるようになる炭素の急激な結晶化されたものはそれ以前に存在しますが、ダイアモンドという価値を持った美しい鉱物は人類に認識をされて初めて存在をするようになるわけです。

 紀元前から何らかの鉱物としての認識はされていましたが、現在のインドで採掘が行われるようになり、その存在に人類により付加価値を享受されダイアモンドとしての体をなすことになります。

 ある時は従属者から権力者に、ある時は商人から権力者へと物語と共に献上され、それを所有することの優越性が、権力の証として示されるようになり、その意味が確立をされのです。

 つまり、その物にいかな価値があるかという物語を常に創作をする人間がいて初めてその価値が維持されるのです。

 現代はその市場性もあり、一定の価値判断や価格判断の基準もあり,今の存在になっています。しかし、原点はその存在価値を評価し、高め行く創作性がなければ徐々にその輝きは色あせていきます。

 現代のジュエリービジネスは実用品と同じようなレベルで行われ、価格競争も実用品と同じように行われてきましたから本来の価値は薄れてきました。

 しかし、ダイアモンド単独の価値というものは大前提として自然が育んだ価値というものが付与された価値ですから、それが前提にあり、現代のラボグロン問題にも一定の結論が出たわけです。装飾品としての価値だけであれば、ラボグロンでの良いわけで、他の材料であってもよいわけです。

 ダイアモンドの価値というのは自然からの贈り物であり、人類がそこに価値を見出し、価値を付与するだけの意味合いがあることが前提です。

 つまり、ダイアモンド価値というものは人類が自然を崇拝したうえでの価値が原点であり、決して実用品ではないのです。その価値をどう評価するかということは現代人の文化度や付加価値に対する考え方なのです。

 ダイアモンドの希少性、耐久性、美観性、携帯性、換金性という本来の価値と現代の金融、および資産というものと同様にどのような価値を人類が創作するのかというところにダイアモンドの価値というものは起点するのです。

 人類が自然に対しての崇拝をしたうえでの創作性の価値であり、それを怠ることは価値を自ら失わせ、人類が持つダイアモンドの意味自体をなくさせるのです。

2025年8月8日金曜日

ダイアモンドは永遠なのか?

  数十年前には考えられなかった事が次々と起きています。

『ダイアモンドは永遠に⁉』『婚約指輪は給料の3ヶ月分』などと謳われていたことが嘘のような現代です。二十代の若者にはその言葉があったことさえ知らないものも多く、ダイアモンドビジネスに携わってきたものからすると寂しい限りです。

 今年は宝飾業界の倒産件数が過去二十年で最低というデーターが出ていますが、喜ばしい事かと思いきや、倒産は少ないのですが廃業や休業がここ数年多くなってきています。

 甲府などの業者も工場を閉鎖や廃業が増え、形態も製作や卸からインフルエンサーなどを使い直販が増えています。現実に東京国際宝飾展(IJT)なども宝飾業界のための展示会とは名ばかりで、一般顧客やインバウンドに対する展示即売会というのが実態になってしまっています。

 一方、上流ではダイアモンドの鉱山会社なども流通形態が変わり、大粒に関してはオークション会社への直接出品などB to Cとも言えるような最終顧客に対する直接のアプローチの機会を探っています。

 鉱山会社の多くは採掘制限や採掘権の譲渡などや会社そのものの身売りなどを試みているところも多くあり、決して過去の栄華を探れるような状況ではありません。

 現実は過去数百年で数限りないダイアモンドが採掘され、当然リセールの還流ダイアモンドも多く市場に存在する訳です。当然需給の関係で価格も下がりますので、採掘の意味をなさなくなるわけです。

 しかし、採掘を制限することでダイアモンドの採掘量が減りますので、一方で研磨済み3ctを超えるような大粒のダイアモンドも採掘される機会が減りますので当然品不足にもなります。   過去40年間を見ても1.2ct以下のサイズに関してはわずか10%前後の値上がり($ベース)ですが3ctアップのものに関しては250~300%の値上がりを示し、5ctアップに関しては350%以上の値上がり率(ラパポート統計)を示しています。

 日本国内を想定すると決して『ダイアモンドは永遠に』とは言えませんが、世界基準でみると一定の大きさを前提としますが、ダイアモンドの価格は今後長い目で見ると資産性をますます帯びてくるかもしれないともいえるのです。



2025年7月1日火曜日

ラボグロンダイアモンド⁉

  ラボグロンが巷で騒がれ始めてから5~6年たつでしょうか。

 実際には1980年代には既に当時のソビエト連邦製のものが出回っているといわれ、1990年代半ばには既に米国製のものが出回っていました。しかし、当時のGIA(米国宝石学会)はその後2003年に初めて認識をしたと発表しましたが、それまでのレポートの責任逃れのための言い訳でしかありませんでした。

 その後GIAはラボグロンのグレーディングレポートを発行するという暴挙に出ましたが、その理由は天然かどうかではなくグレーディングがGIAのビジネスであるとコメントしています。

 しかし、初代GIA理事長のリチャード・リーディコートはダイアモンドには鑑別書が必要がないのはグレーディングレポートは天然のダイアモンドが前提だからと説明をしていたのだが、現代のスタッフにはその知恵が無いように感じられます。

 何故なら価格が暴落したラボグロンのグレーディングレポートをつける人はいないからです。当然、想定ができたことですが、$50前後まで価格の落ちたラボグロンにその価格以上のレポート代を出す人はいません。

 ラボグロン協奏曲が収まろうとしている状況において新たな現象が出てきています。それは一つにラボグロンもダイアモンドの一つであるが希少性、物語、ステータスがない種類のものであり、天然とは一線が引かれているものであるということです。

 もう一つは数億円するジュエリーが数百万円で仕上がるという市場です。日本のようにジュエリーを着飾る文化が元々無いところでは成り立つかどうかわかりませんが、欧米諸国のようにその文化があるところでは十分な需要があります。

 現に米国ではそれに特化したビジネスは一定の成功を収めており、ブランド化にハリウッドスターを使用し、順調に伸びているスタートアップもあります。勿論、その見た目は天然と変わりませんから、うなずける内容でもあります。

 今後はどのような市場になるかは天然の市場も含めて不安でもあります。

2025年6月16日月曜日

現代の異変⁉

  先日、久しぶりにロサンゼルスへ旧友との再会や私事を主な目的としていってきました。

一番驚いたことはロサンゼルス市の劣化でした。それは私が過ごしていたおよそ半世紀前と比べるとむしろ都市として後退をしているようにも見えました。普段渡航をしているイスラエルのテルアビブの発展と進化を見てきた私には余計それが顕著に見えました。

 その大きな原因は移民の多さであることは明らかな状況でした。多種多様な文字(落書き)と人種が目につき、おおよそ当時を彷彿させるようなものは消え失せていました。

 丁度その時にいまNEWSで報じられているデモ騒ぎが勃発しました。不法移民の取り締まりに対する抗議デモです。

 不思議なことは「不法移民に対する取り締まり」に対する抗議であることです。不法移民を助けることが人権擁護に当たるという考え方です。勿論、取り締まりが度を過ぎることは容認できません。しかし、秩序を乱す不法な移民に対しての取り締まりは速度違反の取り締まりや防犯対策とどう変わるのかという疑問です。

 ロサンゼルスの劣化は明らかに米国文化の秩序を受け入れない移民の暴挙だと思います。また、従来住んでいる人々の多くの意見も同様です。

 現状、川口市のクルド人問題やインバウンドによる秩序の乱れが日夜話題になっている現代は未来がロサンゼルスのように見えます。早い時期の移民局の創設が必要であり、以前の世界観と現代の違いを意識する必要があると思っています。勿論、秩序ある移民に関してはウエルカムであることは申しつけ加えておきます。

 当社ではイスラエルからワインを輸入し、販売を行っていますが、今のイスラエルの現状もあり、ヘイトの投稿もあります。その人々の気持ちも理解をしたうえでということではありますが、多くの人々が使用をしているGoogle mapや 詐欺集団を追い詰めている警察庁の使用ソフトもイスラエル製です。さらに多くの農業技術もイスラエルのものが日本では多く使用されています。

 もし、それらのものに対してもヘイトは行われているのなら、それはそれで問題です。つまり、現代は物で選べば必ずしも好感を持っている国製であるかどうかはわかりません。あらゆる国が分業をし、現代の物流は成り立っています。分業の仕事が必ずしもそれぞれの国で公平に分けられているとは思いません。しかし、それぞれの国で生活することが本来の姿ですが、事情により国を出ざるを得ない人々も多くいるとは思います。

 もし、自国を出なければならない事情があるのであれば、それはそれで移動した国の秩序を守る必要があります。そうしなければその国でも厄介者扱いになりその国もまた住みにくいものになるのです。つまり私見ではありますが、多くの不法移民の人々はどこの国に行っても不平不満を持ち、問題を起こすのかなとも思います。勿論皆が皆そうとは思っていませんが一部の移民の暴挙を見るとそのように感じてしまうのです。

 

2025年4月30日水曜日

ダイアモンドへのトランプ関税⁉

 トランプ大統領の関税政策の良し悪しは別にして、ダイアモンド業界への影響は決して小さくはありません。

 それは4月上旬のトランプ大統領の税率発表の前にアメリカ国外の業者がアメリカへダイアモンドを大量に送り込んだことによる影響です。

 関税25%の影響は決して影響が少なくはなく、本来であれば無税のダイアモンドですからGIAのグレーディングレポート作成依頼も海外からはできない状況になっています。そのため、4月頭の1週間で去年一年分のダイアモンドの輸入がアメリカへ行われたのです。

 勿論6月のラスベガスショーを念頭に置いての行動ですが、時期が早すぎたために他国からの引き合いには対応できない状況になっているわけです。

 その結果、ダイアモンド業界としてはフリーズ状態にあり、現状の手元在庫のみで対応せざるを得ない状況になっているわけです。

 さらに言えば、トランプの関税政策を見据えて、多くの投資家が米国債を手放した為に長期金利も下がり結果として現物資産である金の価格の上昇ということにもなったわけです。

 同じ現物資産であるダイアモンドはその希少性から金ほどの影響も少なく、大粒ダイアモンドの他のものは価格も軟調で、ファンシーカラーダイアモンドに関しては価格も弱含みでのあります。

 現代の投資においてダイアモンドというものは市場が小さく、投資家にとっての興味は決して大きくはありません。現代の投資家の大半はパソコン前での作業であったり、目を離すことのできない立場にいるわけですからファッションやステータスに関してはあまり興味を示しません。

 特にダイアモンドのような影の資産になりがちなものに関しては興味をあまり示さないのです。なぜなら、多くの国では富裕層の取り込みのために税制が富裕層に有利になっているためにそこへの工夫に大きな興味を示しません。

 それよりも税金が無税のタックスヘブンへの国々への資産移動を行うような大きな工夫をするのです。

 しかし、それには大きなリスクも伴います。現状でもハッキング等の犯罪が際立った進化をしています。これは、AI化が進むことにより更に可能性が大きくなってくるでしょう。

 金額がそれほどのものではなくてもアナログ資産でもあるダイアモンドはやがて別の意味を持ってくるのです。

 

2025年4月9日水曜日

大粒ダイアモンドの行方⁉

  インドのダイアモンド研磨工場の閉鎖が相次いでいる理由はいろいろあるが、一番の理由はダイアモンドビジネスの経年劣化だろうと感じます。

 ダイモンドビジネスが始まって300年~500年は経とうとしています。もちろん近代ビジネスモデルとなってからは100年余りしか経っていないわけですが、この間の発展が著しかったことも事実です。

 私自身もこのビジネスに関わってから半世紀余りとなりますが、その間にも著しい変化がありました。グレーディングが一般化され、大量の原石が研磨され、更にはその換金性ゆえにリサイクルとしての市場での在庫の流通が行われてきました。

 現代においての市場在庫は過去最高といってもよいでしょう。需要に対して供給過多になっているのが現況です。宝石質ではない原石も多く研磨されてきました。その為、市場にダイアモンドがだぶつく状況にもなってきています。

 もちろん価格においてもその影響は著しく、1ct以下のダイアモンドの価格は低迷し、新たな研磨石は必要にならない状況にあるために研磨工場の閉鎖という状況になっているのです。

 さらに、インドの多くの研磨工場は仕事を確保するために人造ダイアモンドの研磨も大量に行ってきたために人造ダイアモンドそのものの価格の下落も演出してしまったわけです。

 人造ダイアモンドに関してはいくらでも生産ができますから価格は下がる一方です。しかし、このことは天然のダイアモンドにも影響を与えるのではないかという指摘もありましたが、下がりすぎたということもあり、天然のダイアモンドの価格も下がりましたのがあまり影響は大きくはありませんでした。

 大粒(5ct以上)のダイアモンドに関しては最近大手の鉱山会社が相次いで供給を抑えるという発表がありましたが、これは抑えるのか、原石が少ないのかは疑問の余地もあります。

 つまり、コロナ以降デ・ビアスをはじめ多くの多くの鉱山会社が減産を行ってきました。最近、再採掘を始めていますが市場が芳しくはないとの判断から積極的ではありません。それゆえにもともと採掘量の少ない大粒ダイアモンドは原石を含めて少なくなってきているのだろうと感じています。

 更に、大粒ダイアモンドの所有者はもともと資産家が多いために市場に売りに出すことも少なく、小粒ダイアモンドのようなリセールなる在庫がもともと市場にないことも状況としてはあります。

 大粒のダイアモンドは今後もステータスとしての資産としての価値は十分にあるのだろうと感じていますが、それ以上に現代のデジタル資産の危うさの反対側にある現物資産としての価値が必要とされるのだろうと思います。

2025年3月5日水曜日

危ういか?ダイアモンドビジネス⁉

 ダイアモンド市場の厳しさは各鉱山会社の内容をみても、ほとんどが減益減収になっています。また、それぞれの鉱山会社の統合や身売り話も公然と行われるようになりました。

 幸か不幸かその結果といってもよいのでしょうが、大粒の原石不足やその研磨が行われることが少なくなり本来の宝石としてのダイアモンドの意味が出てきているようにも感じます。

 勿論その反動として3ct以下のダイアモンドの価値が損なわれている傾向もあります。つまり価格の下落が起きているということです。

 それは流通在庫の過剰さが要因でもありますが、人々のライフスタイルが変わってきたということもあります。まだ、欧米諸国では身に着ける機会が多くありますので大きく減少することはないと思いますが、我が日本においては宝飾品を身に着ける機会が極めて減少し、必要とされなくなってきているような気さえします。

 全体を表した経済指数だけで言えば好況を表している数字さえも実際には、その全体の多くの部分が一部の人に集中をしている現実があります。一部の人では市場の経済に限界があります。経済というものは多くの人の消費にかからなければ回りません。つまり、古くから言われることですがお金は経済(体)の血液なので一部ではどんなに多く回っていても不健康なわけです。

 経済がより良く効率よく回るには多くの人々に行き渡ることにより景気が盛り上がり、人々の士気が上がり、集まりそして着飾り、消費がより盛り上がり、経済が回り税収も増え国が豊かになるということになります。

 ここまでは日本の中身ですが、世界的に見て今後はどうかというと、やはり明るくはないというのが率直な感想です。

 過去数百年にわたりダイアモンドを採掘し、またその技術も上がり効率よく採掘がおこなわれるようになれば当然在庫は余ってきます。しかし、研磨の技術および機械化が進みさらなる稼働を試み研磨量が増え、原石の供給量以上の効率化が行なわれ、結果的にはラボグロンの研磨まで行われなければ機械の効率化、採算が取れずやみくもに研磨をすることになり、ラボグロンの価格まで下落をするということになったのです。勿論研磨された天然ダイアモンドも市場にだぶつくことになります。

 つまり、宝飾品というものは非効率的なものゆえに価値があり、効率化しては自らの足元を揺るがすものになるということです。しかし、現実には文明が進むと殆どのものが進化、進歩し、現状の結末は予想しえたものです。それゆえに有限資源であるダイアモンドは価値が上がると考えられてきましたが、消費材ではないダイアモンドは市場に溜まっていくわけです。

 宝石の要件である希少性というものが消えていくには時間がかかりません。しかし、大粒のダイアモンドといわれる5ct以上になると事情は変わります。元々発生率が少なく、富裕層が所有する機会の多い大粒ダイアモンドは手放されることも少なく市場に還流することが少なく希少性という宝石の条件が外れることがないのです。

 今後はラボグロンダイアモンド、宝飾本の材料としてのダイアモンド、そして、宝石としてのダイアモンドというカテゴリーになると考えられるのです。

 

 

 

2025年2月20日木曜日

今後のダイアモンドの世界⁉

  前回はラボグロンの事を書きましたが、今後はハイジュエリー、コスチュームジュエリー、アクセサリーのジャンル分けがあるとしたら、ラボグローンはコスチュームジェリーのジャンルの中のハイグレード的な存在になるのだと感じています。

 つまり、本物であれば億単位のものが数百万円で購入できる感じの物という事になりますが、日本ではコスチュームジュエリーを着けるパーティー文化があまりありませんから広がりの可能性は低いのです。

 ダイアモンドの世界はこの二、三年後にはAIがすべてのダイアモンドのカットをこなすことになるので、その汎用性をいかに生かすことが日本でのジュエリーの市場になるのです。

 原石の研磨から、小売りの販売が一貫管理で行われることがハイブランドを始め、当たり前の時代が見えてきている感があります。それはジュエリービジネスの本来の姿でもある希少性、デザイン性、独自性を盛込むオリジナルな感性が顧客にどう響くのかを問う時代だという事です。

 現在多くの日本企業が苦しんでいるのが職人不足です。これは今までの日本ジュエリー業界の後遺症という事だと感じています。本来単刀直入に言うと如何に独自性を出しながら価値高く販売をするのかという事ですが、日本では販売員があまりうまく育たなかったこともあり、いかにだれでも売れるものを作るかという事を重視してきました。

 それは宝飾ビジネスの反対車線を走るようなものです。4Cありき、価格競争ありきといった販売方法は職人を育てることなく、大量生産と大量販売を目指した販売体制のあおりを受けた職人枯渇時代の到来を現実化させたものです。結果、職人もそうですが、販売員も育つことなくこのバブル後の30余年を迎えたわけです。

 現在はその後遺症を解決すべく、考えることができるのが原点回帰をどのような形で行うかという事であり、それが今後のダイアモンドの世界も変えていくというか、すでに変わり始めているという事です。

 現在大粒のダイアモンドビジネスは多くのカッターたちは研磨することなく、オーダーが入ってから研磨するという形が一般化してきています。それは今後他のサイズに関しても同様になるでしょう。

 日本でデザインを起こし、CADデーター作成を行い、そのデザインサイズに合わせダイアモンドを合わせ、それを現地で制作をするという事が現実になるのです。すでに先行している企業もあります。

 大粒のダイアモンドは別にして、素材としてのダイアモンドとそのプロデュースが今後の業界の主流になるのは容易に想像がつきます。


2025年1月29日水曜日

天然ダイアモンドとラボグロンダイアモンド⁉

  ここ数年ラボグロンダイアモンドの話題が多くありますが、実際にはラボグロンという命名は後日とはなりますが、1980年代から出回っていた事実もあります。

 さらに言えば品質を言わなければ日本の企業でも1970年代から製造を行っていました。

ラボグロンがラボグロンという命名のもとに普及し始めた当初は天然ダイモンドの6割から7割のバリューで出回り始めましたが、その2~3年後には天然ダイモンドの3%程度の価格で流通するようになりました。

 その理由として大量生産が一番の理由ですが、これも裏事情で天然ダイモンドのコロナ禍における販売不振という事があり、天然ダイアモンドの代わりに研磨をする材料としてラボグロンダイアモンドがありました。

 それ故に価格の下落を起こし、興味が無くなるほどの商材となったのですが、ここにきてラボグロンの一つの役割としてコスチュームジュエリーの贅沢版という新たなジャンルが登場をしてきたのです。

 既にアメリカなどでは天然であるなら数億円するようなジュエリーを数百万円ほどで仕上げハリウッドなどの女優などの需要に答えるといったブランドなども現れています。

 欧米諸国にはこれらのジュエリーをする機会が多くあるので市場としても今後も望めるのでないかと想像しますが、果たしてそのような機会が少ない日本ではどこまでそれが伸びるのかという事です。

 いずれにしてもそれが天然ダイモンドのシェアをある程度浸食をすることは間違いがありませんが、忘れてはならなのは天然のダイアモンドが存在をしていてのラボグロンです。もし天然のダイアモンドが存在しなければ、ラボグロンはただのカーボンの結晶でしかありません。

 ラボグロンは天然があっての存在価値です。それ故に天然ダイアモンドの価値を今後は同様な展開していくことが賢明なのかがダイアモンド業界における課題です。

 既に希少性、伝統、物語、換金性が付与されているダイアモンドとサスティナブルで安価な汎用性のあるダイアモンドといった二つのカテゴリのあるダイアモンドといった仕訳をしようという動きも世界のダイアモンド業界にはあります。

 偽物は本物があっての価値です。後は業界がどこまで天然ダイモンドの価値を高めることができるのかという事が今後の課題でしょう。

2025年1月16日木曜日

現代における不安と不満⁉

  2025年が明け、2週間ほど経ちましたがこの2週間でお正月気分があったのかなかったのか?

 殆どの人の会話が『お正月気分が湧かないね』という言葉から始まったような気がします。

 これは何も今年や正月に関したことではないような気がします。生活文化が変化し、全てがシンプルになってきたことにより付加価値といえるフォーマルさが消え、カジュアルが万能と人々が自らに言い聞かせてきた結果ではないだろうかと考えています。

 経済の低迷が続き、デフレ脱却が叫ばれ、気が付いたらスタグフレーション(不況下のインフレ)に陥り、驚くことに政治家の殆どがその原因である”アベノミクス”を評価する自民党が経済の舵取りをしているという現状でもあります。

 日本のお年寄りはタンス預金、若者はNISAと経済の血液との言えるお金を止めてしまうという状況に陥ってしまっています。ましてやNISAは国がというか自民党が率先して進めるという経済音痴の最上級でもあります。

 NISAの短所は資産家でもない人々に投資を勧めているがゆえに、余計に市場にお金が回らない事やその多くが外国債の購入を望み円安を進める要因にもなっているという事です。

 結果的に物価が上がり、更には消費が縮み、経済に悪影響を与える結果となっていることは多くの人が理解をしている事です。しかし、その推進を自民党が進めているという事です。

 つまり、自然発生的に起きたように見えるカジュアル化は経済の低迷により生み出され、日本の消費者の多くは生産が海外で行なわれた安価な実用品や日用品を使用するようになり、高額に感じる国産費の技術の高いものを購入しなくなったのです。

 しかし、気が付いてみると多くの海外の生産国は経済発展を遂げ、今や日本をしのぐ経済力を持ち、日本で生産される彼らから見ると安価なものを買いあさっているのです。ここ二十年で日本の経済力は失われ、過去の遺産で運営が行われているのです。

 日本の自民党政治は自らの利益の為に1次産業を停滞させ、内需をおろそかにし、金融が景気の指標のような勘違いを国民にさせてきましたが、さすがに国民もそれに気が付き始めていますが、政治家は政治遊びに熱心な為に未だに気が付いてはいません。

 日経が7000円台であった小泉政権下の方がまだ経済はましでした。アベノミクス以降株価は上がりましたが、それは税金を使ったまやかしであったことも今や公然の事実です。

 経済が低迷を続ける中で国民は生活を切り詰め贅沢を避け、シンプルに生活をし、安いものに群がり結果的にカジュアルな生活をせざるを得なくなってきたのです。それを国民は自ら納得をさせようとしているのです。

 結果、負のスパイラルの中にあり、現状の印象になっているのです。決して国民は好んで今の生活をしているわけではないのです。政治の結果が今の文化を生み出しているのです。

 十年後NISAがとんでもないことになっていなければ良いと願うばかりです。投資はあくまで資産に余裕のある資産家が行うものであり、ギャンブルでもあることを認識するべきでもあるのです。